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慈恩寺(じおんじ) 天台宗、華林山最上院。開基、慈覚大師。 創立、天長元年(824)。東叡山末の大寺は本坊四十二坊、新坊二十四坊、大寺と知らる。文政10年(1827)焼失、天保14年(1843)に至って深乗上人の代に再建、昭和の大改修がなされて今日に及んでいる。現在の十三間四面の大本堂は、格天井の花鳥絵、天井の鳳凰の図、欄間の天人の彫り物などこの大寺にふさわしく、みな立派なものである。江戸時代天正19年(1591 徳川家康が寺領百石を寄せ、なかでも寛文10年(1670)東照神君の霊牌供養料二十八石を受けたことは特記すべきことである。そして文政年間(1818〜30)から日光輪王寺法親王歴代の参籠所となるなど、いかに由緒正しき寺であったことが知られる。寺伝によれば天長年間(824〜34)慈寛大師の草創という。大師が関東巡錫の折、日光山の頂から仏法弘通の霊地あらば示し給えと「李」の実を虚空に投ずると、この地に落ち華を咲かせたので、千手観音の尊像を自刻、一宇を建立して安置したのに始まると伝える。そして李の実に大きな除魔力を期待した地域開発の願望でもあった。のちにご本尊は焼失、現在は天海大僧正が寛永11年に納められた本尊を祀る。夫婦の円満を祈る観音さまとして知られる。本堂前に天正18年(1589)伊達与兵衛尉房実が奉納した南部鉄の灯籠が古雅なたたずまいをみせている。 寺名は慈覚大師が入唐求法の時に修学した長安の大慈恩寺の風景に、この地が似ているのでつけられたという。これが縁となって現在では境内から東南三〇〇メートルの地に玄奘三蔵法師の「霊骨塔」が建てられている。昭和17年、南京駐留の日本軍がたまたま土木作業中に玄奘三蔵法師のご霊骨を発掘し、南京政府に届け出た。そこで、その分骨が日本仏教会に贈られ、現在、ここの石造十三重の塔に納められている。境内から水田をはさんで高さ一五メートルの塔が望める。
★所在地:埼玉県岩槻市慈恩寺139 ★交 通:岩槻駅からバス観音入口下車 ★連絡先:048−794-1354
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