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安楽寺(あんらくじ) 真言宗智山派、岩殿山。通称、吉見観音。開基、坂上田村麻呂。創立、大同元年(806)安楽寺は町の中心部から離れており、長い参道を行くと、老杉の梢越しに三重塔の九輪が鋭く空にのびているのが見えてくる。かつては泉屋、山田屋、土瓶屋など巡礼者のための宿が、この辺にあったという。六月十八日の「厄除け観音」のご縁日には、午前二時頃からこの表参道を参拝者がたどる。朝早ければそれだけご利益が多いとされている。門前では「厄除け団子」が売られている。これは昔、疫病が流行した時にダンゴをつくって観音さまへお供えし、難を逃れた故事によるものである。大きさも不揃い、味もまちまちであるのが面白い。石標に「坂東十一番、蒲冠者源範頼旧蹟」とあるのを見ながら石段を上ると仁王門、その奥正面に観音堂が樹林を背に建っている。寺の草創は僧行基が東国巡錫の折、ここを霊地と定め、聖観音像を刻み、岩窟に納めたというもので、岩窟寺院の一つである。のちに桓武天皇の時、奥州征討の坂上田村麻呂が戦勝を祈願、七堂伽藍を建立した。関東東北の地に観音信仰普及の端緒を開いたのは、田村麻呂であったが、ここもその一霊場である。また天慶3年(940)平将門叛乱の折、調伏を命ぜられ、百院百壇を設けて修法、効験があったとも伝えている。鎌倉時代になると、源頼朝の乳母だった比企禅尼が、当地を住まいとした。頼朝の異母弟範頼は、平治の乱の後、比企禅尼を頼って、安楽寺の稚児僧となった。鎌倉幕府成立後は当地の領主となり、吉見御所と呼ばれたという。範頼は、安楽寺に所領の半分を寄進し、三重塔や大講堂などを建立したが、兄頼朝との争いに敗れ、当寺も戦火のため焼失した。多くは江戸時代以降の建築だが、本堂や県指定文化財の三重塔など、寺観は整っている。本堂欄間には左甚五郎作と伝えられる野荒らしの虎の彫刻があり、夜になると抜け出して、一帯の田畑を荒らしたという。
★所在地:埼玉県比企郡吉見町御所374 ★交 通:東松山駅からバス久保田下車・徒歩40分 ★連絡先:0493−54−2898
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